”Project BASIS” は、BUYMAを始めとしたインターネット物販をきっかけに飛躍をめざす人々が集まる場所です。
  
  
コミュニティ、物流、VIP仕入れなど、生きていくための仕組みを揃えています。
  
  
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                                    Project BASIS  代表 渡邉輝明

プロフィール


※この記事は2014年冬に作成されたものです。
2016年 年末時点での状態はこちら
https://teruakiw.com/teruaki/BUYMA/550
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渡邉 輝明(わたなべ てるあき)

2014年1月5日 BUYMAに登録。

2014年1月11日 初出品。

2014年1月の利益は7.5万円

2014年2月の利益は50.5万円

2014年3月の利益は129万円

以降100~130万円をコンスタントに出しています。

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私は鈴木英広さんが主催する起業家アカデミーに所属することから

インターネットビジネスがスタートしました。

 

その中でたくさんの仲間、副業の方、本業のかた、主婦の方と語り、

頑張っているけれど成果が思うようにでない方とたくさん触れ合いました。

 

そこで僕は、コーチングや、コンサルティング、

インストラクショナルデザイン等

これまで自分が培ってきたものを総合してお伝えすることで、

売上にも、日々をがんばる心にも貢献していきたいと思い、

ブログを書く事にしました。

 

少しの気づき、少しのやり方の変化で一気に成果を出される方が

とても多かったからです。

 

既存の薄い情報を引き伸ばして伝えるメディアではなく、

「濃い」 「変化を産む力がある」「明日から使える」をモットーに

お伝えしていければと思います。

 

 

ここから、そんな僕のプロフィールを書きます。

(文体変わります)

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1985年9月3日生 後のドラえもんの誕生日である。

生まれは福岡、育ちは神奈川県横浜。

 

<<自信が欲しかった学生時代>>

2つ上の姉を持ち、基本的には何も考えず姉の通った道を2年後に通るという

安定した子供時代を過ごす。

家ではひょうきんだったが、外に出ると話せなくなるシャイボーイ。

※現代風に言えばコミュ障である

 

どのくらいシャイかというと、

完全に透けているサッカーゴールの裏に隠れていつか仲間に入れてくれるのを待つくらいである。

 

 

元気はつらつでいつも友達に囲まれている。

そんな姉とは正反対の自分が嫌いだった。

 

得意なものもなく自分に自信がなかった。

でも身長が高かったので、ミニバスケット部のスタメンだった。

周りは小2からバスケ命。僕は小5から背が高いだけでスタメン。

強烈なひがみをうけたりして、もっと自信がなくなった。

 

中学校に入ってもバスケ部に入ったが、

全国制覇!と当たり前に言っている周囲にとてもついて行けなかった。

半年で辞めた。もっと自信がなくなった。

 

でも初めて、ほかの人よりも優れていると思えることがあった。

それは、「作文」だ。

国語の時間の作文だけは、僕の天下だった。爆笑の渦だった。

 

そこで初めて、得意なことを持つことの喜びをしる。

 

そんなこともあって、高校では

ほとんどがスタートラインが同じになる”弓道”を部活に選んだ。

バスケでは取り返せなかった成長を、みんな一緒で用意ドンの弓道なら

いけるかもしれないと思ったからだ。

 

変わりたかった。

だから、すごくがんばった。

週7日。朝、昼、夕方、深夜高校に忍び込んで練習。

個人では関東大会に、チームでも大きな大会で賞をもらえた。

 

「やればできるんだ。やってできないことはないんだ」

 

どんなことも「どうせできない」とひがんでいた自分が、

少しずつ変わっていった。

 

弓道をやりながら見つけたもうひとつの自分。

それは、「教えることが好きだ」ということ。

正確に言えば、得意になったから好きになった。

自分が教えた後輩は、いろんな大会で賞を取るようになる。

少しの期間だけいる交換留学生さえ、県大会で入賞する。

でも、ほかの自分の同期が教える後輩はなかなか伸びない。

 

その時思った。「これは才能かも知れない。初めて自分に自信をもっていいことなのかもしれない」と。

 

だから、大学でも弓道を続けた。

1年生の時から先輩を指導していた。

7段の先生にも「あなたは教えるのがすごい」と言われるようになった。

その時には、

なぜまわりが指導しても上達しないのに、自分が指導すれば上達するのか

が明確だった。

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ただ、不安もあった。

この自信は、弓道をやっているうちでしか効果がないのではないか。

それ以外には応用の効かない、狭いものなのではないかということだ。

 

だから、他の分野にも挑戦した。

当時入っていたマーケティングゼミの、

神奈川県が主催するビジネスコンテストだ。

 

 

”やってできないことはない”

弓道で得た学びを証明するために、難易度が最も高い、

現在の分野とかけ離れた理系のエレクトロニクス分野の課題に挑戦した。

 

部活の幹部職と両立しながら研究を続け、

半年間で論文に仕上げた。

 

結果は、341人中最高得点での優勝。

更にだしたアイデアは特許になることがきまった。

アカデミックな勝利は初めてだった。

チームメンバーと興奮したことを今でも覚えている。

 http://www.yokohama-cu.ac.jp/campuslife/110412.html

 

やってできないことはない。

自分に言い聞かせ、実行した。

 

その後も、

ぐるなびの社長以下社員全員でコンペする新規事業提案大会でもアルバイトでは異例の2回連続入賞など、自分に自信をつけたくて奔走していた。

 

卒業するころには、

学長から表彰をうけるようになっていた。

 

<<鼻を根元から折られる新社会人>>

就職先に選んだのは、ボストンコンサルティンググループなど外資コンサルの

人々が作った人事コンサルティング会社。

社員の半分位が外コンだったのではないか。

 

仕事がぜんぜんできなかった。

まったくの使い物にならないとはこのことだと自分でも思っていた。

ミスをし、会社に金銭的な迷惑すらかける。

でもどこかで「自分のせいじゃない」と思っている。

クソ野郎だった。

 

毎日3時間怒られた。

でもそれが上司の愛だと感じることは、当時の自分はできなかった。

大学生時代に築き上げた天狗の鼻は、次第にもぎ取られていった。

かっこよさとは真逆の、泥臭い、社会人デビューだった。

 

結局、3年で辞めた。

当時の会社ではできないと思い込んでいたコーチングに惹かれ勉強したいと思ったからだ。

・・・・・というのは建前で、逃げたのかもしれない。

 

 

自分の社会人人生は、本当の意味でここからはじまったと思う。

さして成果も出さず独立した。

明日のお金も保証されていない。

誰かに認められなければ、生きていけない状況になった。

自分にあるのは、昨日とり終わったコーチングの資格と

学生時代からずっと続けていた就職活動支援NPOでの実績だけだった。

 

<<本当の意味で社会人になる>>

コンビニバイトでもするかと腐っていた。

しかし、そこに転機があった。

経済産業省のキャリア支援プロジェクトのコンサルタントの求人があった。

 

「これしかない」と思った。

 

推薦状を書いてもらい、営業資料を作り、面談に臨んだ。

 

結果は、採用だった。

初受注が国の仕事だった。

 

 

しかし、周りは1年半契約。

自分だけが1ヶ月契約だった。

 

 

理由は簡単だ。若いからだ。

国のプロジェクトともなると、業界のベテランが参加し、平均年齢は

50歳近くなる。

当時の僕は25歳。青二才もいいところだった。

 

 

成果を出さなければクビ。

 

この状況になって初めて、

これまで散々怒られてきたほとんどのことを理解し、

改善できた。

 

その結果として、契約は1年半まで継続。

学校を卒業してしまったが就職ができなかった未就職者を半年間企業インターンをさせながら教育し正社員にする

というプロジェクトであったが、

 

結果として全国トップクラスの実績で終えることができた。

 

その後はITベンチャー企業の新規キャリア支援プロジェクトの顧問として

コーチング、キャリアコンサルティングを行った。

そして翌年、その企業の正式メンバーとしてジョインした。

国をも巻き込んだ成長の社会インフラを作るためだ。

 

 

しかし、その日は来てしまった。

 

 

起きると、歩けない。動けないのだ。

気合と根性で壁をつたい病院にいくと、背骨の骨折だった。

働きすぎて背骨が疲労骨折していた。

 

直接の原因は不明だが、一気に社会復帰できない体になってしまった。

でも、諦めたくなかった。

 

 

やってできないことはない。

自分の人生を作り、変えてきたこの言葉を、信じたかった。

だから、道を探した。

 

必死だった。

そこでたどり着いたのは、輸入だった。

花井志穂さんのブログをみて、すぐにコンタクトをとった。

1月1日にメールをして、1月3日の深夜3時にスカイプをした。

そこから、僕のBUYMAが始まった。

 

 

稼がなければ、もう道はない。

そうおもって、必死だった。

でも、不安だった。本当にこれで稼げるのか。

稼げたとしても、安定するのか。

 

今思えば、これはもう実績を出すことでしか拭えない気持ちだと思う。

がむしゃらだった。

努力を最大限形にするために、効率化の仕組みも整えた。

徹底的にリサーチをした。

 

 

そして、すぐに結果がでた。

2月には、出品200程度で売上150万、利益50万円になった。

もうこの時点で、会社員の時の給与は超えていた。

3月には、売上345万円、利益は129万円だった。

 

=====

 

インターネットビジネスは、

普通ならもうどうしようもない自分に、活路を見出してくれました。

 

正しい努力を正しく積み重ねれば、成果はでると思っています。

ただ多くの人は、どこか歯車がかみ合わなくて結果につながっていないのです。

 

自分ができるようになったことを人に教えることはちょっと自信があるので、

今悩んでいる人に何かを届けたいなとおもっています。

 

 

そんな僕が書くブログを、どうぞよろしくお願いします。

 

渡邉輝明

 

※この記事は2014年冬に作成されたものです。
2016年 年末時点での状態はこちら
https://teruakiw.com/teruaki/BUYMA/550


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